2012年4月1日日曜日

バターランプ

ブータンのお寺で必ず目にするもの、
それは「バターランプ」です。



お寺だけでなく、
どこの家を訪れても
大なり小なり必ず目にする家庭の仏壇にも、
まず必ずと言っていい程、
このバターランプが置かれており、
毎夜の闇を照らしています。

昨年に引き続き今年も、国王王妃両陛下をはじめ
ブータン政府要人と在留邦人とが、東日本大震災の
被災者を思い、共に祈りを捧げた追悼記念式典でも、
このバターランプが灯されました。

思えば日本でも、お誕生日や冠婚葬祭など色々な場面で、
キャンドルが多用されていますが、その意味合いは様々ですね。

日本だけに留まらず、世界中のあらゆる場面で、
人々がろうそくを捧げて祈る光景を眼のあたりにします。
国境を超えて、人間として同じ感性や考えが、
この小さな炎を灯すという行為に、
宿っていると想わざるを得ません。
むしろ宗教を超えた領域の、
人間の自然な営みなのでしょう。


ローソクの灯には
「燃焼する炎」としての要素と
「周りを明るく照らす光」としての
二つの要素があるそうです。
自らを燃やしながら周りを浄化し、
辺りに光を送り続ける姿は
「超我の奉仕」を象徴しているそうです。

一説では、ブータンのバターランプには、
次のような意味合いが込められているそうです。

バターランプの芯は「人間のエゴ Ego」を、
バターランプの燃料であるバターは「人間の無知 Ignorance」を、
つまりいずれも悪しき人間の習性を表していて、
それを「英知・智慧 Wisdom」の象徴である炎が
両者を燃やす様を毎日眺める事によって、自らを戒めるのだと。

その他にも仏教では、
「煩悩 Desire」の闇を照らす「智慧 Wisdom」 の光として、
あるいは「死者への道しるべ」など、
様々な意味合いが込められているようです。

日本に住んでいた頃、
アロマキャンドルが大好きな私は、
街で見かければ思わず買って集めていましたが、
それを灯してゆっくり眺める時間は、
残念ながらありませんでした。

電気の力で、地球でもひときわ光り輝く島となった日本ですが、
このバターランプが私たちに思い出させてくれることも、
まだまだありそうだなと、ふと思ってしまいました。



出典:http://visibleearth.nasa.gov/




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